組織課題

事例に学ぶ「ルールを守ることが正解とは限らない理由」

法令やルールは、本来、守ることが前提とされる。しかし、現実にはその解釈が真逆となる場面がある。とくに災害や緊急時においては、ルールを守ることがかえって人々に害を及ぼす可能性すらある。ルールを破ることが、真に人を守るための正しい意思決定となる場合もある。

その象徴的な実話に基づいた事例として、2011年の東日本大震災がある。当時、テレビやラジオ、通信手段が途絶し、被災地では情報取得が困難な状況となっていた。そんな中、広島県在住の中学生が、NHKの地震報道をインターネット配信サービス「Ustream」を通じて配信し始めた。これは、著作権や電波に関わる規約違反にあたる行為であった。

しかし、配信プラットフォームのUstream Asiaの社長はこの行為を遮断せず、配信を継続させた。さらに、NHKの公式Twitter担当者も、この中学生の行動を独断で拡散した。いずれも、平時であれば明確な規約違反であり、責任を問われる行為である。

だが、この一連の行動は、情報が遮断された被災地にとっては極めて重要な支援となった。ルールは本来、人を守るために設けられている。しかし、この事例では「ルールを破ること」がむしろ人々の命を守ったのである。これは、「ルールを守ることが常に最良とは限らない」ことを示す、象徴的な出来事であり、同時に、自ら責任を負う覚悟と他者のために行動する勇気がなければ成し得なかった判断でもある。

こうした判断を可能にするのが、「非認知能力」である。非認知能力とは、自制心、共感力、社会的責任感、自己認識力など、知識や学歴に関係なく人が備える心の力を指す。これらの力が適切に統合されていなければ、ルールをただ形式的に守るだけの行動は、現実の変化に対応できず、むしろ被害を拡大させてしまう危険性をはらむ。

命がかかる状況においては、「法に従うこと」よりも、「今ここで最も人を救う判断」が優先される。そのために求められるのは、状況を的確に見極め、自ら判断し、責任を持って行動する力である。そして今、そのような判断力が社会全体にかつてないほど求められている。

法律に限らず、官民問わずあらゆる組織にも明文化された規則や不文律が多数存在する。それらをすべてのタイミングで、すべて守ることが正しいとは限らない。時に、目的に照らして意図的にルールを逸脱する判断が求められる。とくに組織の上位に立つ者ほど、その決断力が問われる局面は増える。組織が存在する目的を深く理解したうえで、何が本当に必要なのかを判断する能力が求められるのである。

こうした力の必要性は、研究によっても裏づけられている。Colbyら(2017)が提唱する「モラル・コグニティブ・エンパワメント(Moral Cognitive Empowerment)」は、非認知能力と結びつきながら、リーダーや組織構成員が状況に応じた倫理的な判断を下す能力の重要性を示している。また、Lapsley & Narvaez(2006)は、倫理的判断には単なる知識ではなく、自己統制、共感、そして文脈判断といった実践的スキルが不可欠であると論じている。これらの力は、組織内のルールやマニュアルでは対応しきれない複雑な現場での判断において大きな役割を果たす。

とくに強調すべきは、これらの判断力は講義やマニュアルで一度教えたからといって身につくものではないという点である。状況に応じた判断と、日々の振り返りを通じた自己省察(メタ認知)のプロセスを継続的に行う中で、ようやく培われるものである。また、組織自体が「ノーを受け入れる文化」を持っていなければ、個人の判断は絵に描いた餅に過ぎない。自己判断を支えるためには、組織の風土と承認制度がセットで整備されている必要がある。

今の社会は、100人いれば100通りの対応が求められる「正解のない社会」である。そのなかで最良の意思決定を導き出すためには、経済性、社会的影響、組織の持続性、人命や生活の安心など、さまざまな要素を多角的に見て判断し、自らの行動に責任を持つ姿勢が不可欠となる。これこそが、現代のコンプライアンスにおいて求められる中核的な要素である。

ルールをただ守るのではなく、「いま、自分は何をなすべきか」を能動的に考え、その判断に責任を持って最後までやり抜くこと。それが、今後の社会における健全なコンプライアンスのあり方である。高校・大学教育、リーダーシップ研修、そして職場のOJTなど、あらゆる現場においてこのような非認知能力の育成に力を入れることが、知性と人間性のある社会を維持していく最短の道であると確信する。

参考
Google Crisis Response https://www.google.org/crisisresponse/kiroku311/chapter_10.html
Moral empowerment : elements of a conceptual framework for education https://discovery.ucl.ac.uk/id/eprint/10020699/
A Social‑Cognitive View of Moral Character (Lapsley & Narvaez, 2004/2006) https://www.researchgate.net/publication/290883427_Neurobiology_Moral_Education_and_Moral_Self-Authorship

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