属人化を本気で解消しようと考える企業にとって、最初に問うべきは「人間関係が整っているかどうか」である。どれほど綿密なマニュアルを用意しても、それが現場で活用されない限り、属人化は再び職場に根づいていく。むしろ、運用されないマニュアルほど無力なものはなく、むしろ「やはり無理だった」という諦めの空気を助長してしまう危険すらある。
実際に属人化の解消がうまくいく現場には、ある共通点が存在する。それは、社員一人ひとりが自発的に業務の棚卸しを行い、作業の目的や手順、注意点、効率化のコツまで「惜しみなく共有するという文化」が根づいているということである。こうした姿勢は、業務だけでなく人への信頼がなければ生まれない。誰かの手助けが、結果的に自分の負担を減らすという意識がチーム全体に共有されているからこそ、協力体制が築かれているのである。
反対に、社内にぎくしゃくした雰囲気がある場合や、「人に仕事を奪われるのでは」といった被害的な感情が蔓延している職場では、属人化の解消は極めて難しい。嫌悪感という感情が生まれる相手に人は前向きになることはそうそうない。
また、このような人間関係や能力や結果に報酬が結びついている場合、慣れ親しんだ業務を手放すことへの不安、あるいは新たな業務を押し付けられるという疑念が先行するため、情報共有は進まず、形だけの仕組みが無力化していく。その結果、せっかく整備したはずのマニュアルは使われることなく、属人化の状態に逆戻りするのである。
だからこそ、属人化対策を本格的に始める前に、まずは「情報を安心して共有できる職場」であることを確認しなければならない。どんな制度設計よりも、人間関係における安心感の醸成が先行しなければ、対策は根付かない。これは、経営者にとっても重要な視点である。なぜなら、対策に一度失敗すれば「やはりこうした取り組みは無理だ」という判断を下し、二度と属人化対策に着手しなくなる可能性があるからである。
属人化の解消に失敗することで失われるのは、単なる時間やコストだけではない。社員にとっても「言っても変わらない」という諦めが生まれ、挑戦を避ける文化が根づいてしまう。このような負のサイクルを防ぐには、組織がまず「安心して情報を差し出せる文化とは何か」を本気で考える必要がある。
それには、感情的な安全性(Psychological Safety)の確保が不可欠である。誰かが意見を出したとき、それを揶揄したり批判したりするのではなく、価値として受け取る文化こそが、マニュアルを「生きた仕組み」へと変えていく力を持つ。そしてその文化は、非認知能力――共感、信頼、自己理解、関係構築力など数値に表れない力の育成によって支えられる。
属人化の問題を解決したいのであれば、業務フローの整理や文書化に着手する前に、人の心と関係性という土台を見つめ直す必要がある。仕事とは、単なる手順の連続ではない。人が人と協力し合う営みである限り、そこにある「感情」と「信頼」を無視した改革は、決して持続することはない。まずは関係性の整備から始めること。それが、属人化を本当の意味で解消する唯一の入り口なのである。