許認可事業における法令違反や業務上横領といった不正は、一般的な不正行為とは本質的に異なる。とくに、それが組織的に行われている場合、社会的信頼と制度の持続性を根本から損なう重大な問題となる。では、なぜ人や組織はルールを破るのか。そして、法令遵守にはどこまでの限界があるのだろうか。
第一に注目すべきは、人がルールを破る背景にある本能的な動機である。それは「変わりたくない」「利益を最大化したい」という衝動であり、人間にとって極めて自然な反応でもある。こうした傾向は、心理学の実証研究においても「即時報酬が長期目標への粘り強さを強く予測する」という形で示されている。人は、目の前にある報酬や利益に強く引き寄せられ、長期的な視点や結果を軽視しがちなのである。
組織においても同様の構造的圧力が存在する。短期的な業績や成果を優先する体質が根付きやすく、それが結果として「短期的三方良し」を追求する経営判断を生む。中小企業では、経営者による私的流用、従業員による虚偽精算、経理担当者による業務上横領などが現れる。大企業では、株主や金融機関といった多様なステークホルダーへの説明責任が生じるなか、「今期黒字」や「株主評価」が重視されることで、粉飾決算といった制度崩壊に直結する行為が生まれる。
このような行動の根底には、人間が「快」と「不快」に対して非常に敏感であるという性質がある。心理学的に見ると、快い報酬の魅力は、不快や罰則の影響を相殺しにくい。そのため、どれだけ法令やルールを学び、周知・徹底しても、心理的な意思決定の構造自体が変わらなければ、違反の根は断ち切れない。実際、ルール違反はしばしば「認知的葛藤」を引き起こし、その葛藤に引きずられることで、より衝動的・本能的な判断へと傾いていくことが明らかにされている。
加えて、集団内における「模倣」や「同調圧力」も看過できない。Nature Human Behaviour に掲載された実験では、ルール違反が「感染的に広がる」一方で、社会的期待が強く働く環境では違反の傾向が抑制されることが確認されている。つまり、個人がルールを内面化し、職場の風土としてそれを支える文化が構築されているかどうかが、違反の有無に大きく影響を与えるのである。
組織のトップに求められるのは、このような人間の本能的欲求と、制度としてのルールや仕組みとのバランスをとる視座である。制度や目標が複雑化する中で、関係者が「快」と「不快」をどのように感じ、判断するかが制度の受容性を左右する。短期的な「快」に偏った制度設計では、表面的には機能しても、その内実には破綻の芽が育ってしまう。だからこそ、トップには単年度の決算報告だけでなく、長期的な収益性とのバランスを丁寧に説明し、株主の納得を得る能力が求められる。これは単なる説明責任ではなく、「この制度には意味がある」と理解してもらうコミュニケーション力そのものである。
一方、現場で実際に違反行為を起こしてしまう職員・従業員には、自制心や自己認識力を育てる教育が不可欠である。非認知能力、すなわち即時報酬への感度を抑え、遅れてくる報酬への耐性を高め、状況に応じた柔軟な思考ができる力が求められる。たとえば、「今感じる快=報酬」と「将来の不快=罰」を適切に較べ直す力(セルフモニタリング)、そして自らの行動や考えを振り返る力(メタ認知)は、その教育の中心となるものである。
前出のNature Human Behaviourの研究結果も示すように、ルールを守るという行動は、罰則によってではなく、「内面的なルールへの敬意」や「他者との関係性」が良好であるときに最も効果を持つ。つまり、罰で脅すよりも、ルールの意味を理解し、それを守ることが「自分にとっても他人にとっても良いことだ」と納得できる環境が必要なのである。
最近ではITを活用した自動監視や制度制御も導入されつつあるが、それらはあくまで補助手段にすぎない。本質的な解決には、非認知能力の欠如という根本原因に向き合う必要がある。「ノーと言える個人」、そしてその「ノー」を受け入れられる組織風土。これこそが、持続可能なコンプライアンス体制を築くうえでの基盤となる。なぜなら、人は本能的に「今、楽しいこと」「今、得すること」へと自然に引き寄せられる性質を持っているからだ。この本能を理解し、知性と社会的な統制力でそれを乗りこえる仕組みこそが、これからの知性ある社会の土台となる。