自己標的バイアス
アメリカの心理学者のアラン・フェニングスタインが行った実験に、教師が50人の生徒へテストを返却する際に「この中でひとりだけ成績の悪かった生徒がいた」と告げた場合に、「それは自分だろう」と感じる生徒が10人以上いたというものがあります。生徒は50人で、そのうちひとりの成績が悪いということは、本来は2%にあたりますが、実際は10人がそう感じたので全体の20%がそう感じたことになります。これを「自己標的バイアス」といいます。
自己標的バイアスはつまり「自意識過剰」ということで、このバイアスがかかりすぎることは、あまり良いことではありません。人は自分を中心に物事を解釈しがちで、他人が自分をどう見ているかを否定的に認知する傾向にある。しかし実際には、自分が注目を浴びていると思っているほどは、周囲の人は他人のことには興味がないものです。つまり、冷静に判断しているつもりでも、自分中心のバイアスがかかっていることがあるのです。
認知バイアス
直観や経験に基づく先入観などをもとにした判断が非合理的となる心理現象で、理性的に判断しているつもりでも偏りが生じることをいいます。認知バイアスのなかには、それが生じることで社会的な問題にまで発展するケースもある一方で、バイアスがあるからこそ、不要な不安や落ち込みを防ぎ、平常心や自己肯定感が保てていることもあります。どのような認知バイアスが、どのような状況で生じるのかということをまずは知って、できる限り合理的かつ公平にものごとをみて、判断することが重要となります。
【以下は、多数ある認知バイアスの例】
・後知恵バイアス:過去の事象をすべて予測可能であったかのようにみる傾向です。人間の心のなかでは、実際に起きた事象は起きなかった可能性よりも顕著になります。「やっぱりそうだった」「だから言ったのに」など、起きたあとにもともとわかっていたことであるように錯覚するのがこれです。
・確証バイアス:仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向です。個人の先入観に基づいた観察から得られた都合の良い情報だけをもとにするため、自己の先入観がさらに補強されたり、稀な事象の起こる確率を過大評価しがちになります。ゲーム機を買ってほしい子供が「みんな持っている」と身近な友人数人を指しながら、クラス全体には目を向けていないなどがその例です。
・対応バイアス、根本的帰属の誤り:状況の影響を過小評価し、個人特性を過大評価して人間の行動を説明する傾向。帰属とは、だれかや何かのせいにすることそのものを指し、帰属を誤ってその原因を「人の性質」に求めるものをいいます。口うるさい人、遅刻する人、ケチな人を、その人の置かれた状況を想像することもなくその人の性質に起因すると考える傾向を指します。
・正常性バイアス:自然災害、家事、事故、事件などの被害が予想される状況下で、自分にとって都合の悪い情報を無視して「自分は大丈夫」と過小評価してしまう傾向です。人間の心の働きとして、災害に直面した人々はパニックに陥ると信じられていますが、最新の研究によれば実際にはパニックは稀で、心が過剰に反応して疲弊しないために、ある程度の限界までは正常の範囲であると処理する心のメカニズム働くからなのですが、この心の働きが逃げ遅れの原因となってしまいます。
・生存者バイアス:何らかの選択過程を通過した人・もの・ことを基準として判断し、そうではない対象を見逃してしまう傾向です。事故の生存者の話を聞いて「あの事故はそれほど危険ではなかった」と判断してしまうことなどがこの偏りにあたります。生き残った人からしか話を聞くことはなく、死者数を知っても、死んだ人の話を聞く方法がないため、実際には生存者の証言がどのくらい妥当なのかはわからないのです。
・係留、アンカリング:ある事象の評価が、ヒントとして与えられた情報にひきずられてしまう傾向です。「ピザ」と10回言わされたあとに「ひじ」を指さされて「ひざ」と答えてしまう現象などがこの一例です。
・自己奉仕バイアス:成功したことについては「自分の力量によるもの」とし、失敗したことについては「環境のせい」と考えてしまうことです。物事の原因を何かに求めることを原因帰属といい、人は起こった出来事について自分に有利な原因帰属をしがちであることが知られています。
・ギャンブラー錯誤:一定の確率で起こる現象についての見通しを誤ること。例えば二者択一の生起確率において、過去の事象がなんであれ、次の確立も必ず50%であるにも関わらず、5回連続でコインが裏表の裏であったなら、「次こそ表だろう」と予測を誤ることがこの例にあたります。